ごあいさつ
1985年の夏、その年の夏は、いわゆる猛暑でした。
日ざしが燦々と降り注ぐ日が続く7月。
ある意味、「燦々」というと爽やかなイメージがありますが、実際は「ジリジリ」という表現があう暑い夏でした。私は明治時代に造られた蔵と檜造りの離れ家の改修工事をしていました。
とはいえ、その時代、まだ徒弟制度が厳しく残る時代ですから二十そこそこの若い衆は雑務の仕事のほうが大半を占めていました。大工見習い=「手元てもと」として仕事修行としてその改修工事に参加していました。
「この建物を孫に残したい」施主の希望は堅いものでした。
明治時代の建物は土壁づくりです。それをいったん剥がす仕事は手元の仕事。真夏の暑さと焼けるような日差し、まとわりつく汗と土ほこりで体中真っ黒というか泥だらけです。屋根瓦も剥がしていきますが、やはり昔の瓦は土をたくさん使っていたのでていねいに剥がしても土煙りがたちあがりマスクをしていても口の中は埃っぽくてたまりません。
ようやく棟木の見える構造躯体までたどりついた時、ほっとしたのと同じく、なんとも言えない厳粛な空気がただよいました。
親方(棟梁)が、埃とすすけた棟木を真っ白な布で拭きだしました。そのむこうには力強くこう書かれていました。
真心をこめし工匠の名を連ねて建ち○○○○
天長地久の願い ○○○○
残念ながら棟木に書かれた文章の最後は、消えていて読み取れませんでした。
そして棟木に書かれた文章の意味を受け取り、ひのき乃工房 樹の城は出発しました。
家をつくる人間の私たちが、建物のプロとして、そして棟梁や職人としての誇りをもっ
て一生懸命に。そしてなによりも真心を込めてつくることが大切。
これがひのき乃工房 樹の城の出発点です。
そして日本中の家造りのプロたちに棟木の消えた言葉を・・・
新しい世代に受け継いでもらいたいです。


株式会社 ひのき乃工房 樹の城 (代表) 田波 欣哉
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